お風呂場のクラゲ
「じゃあ、電話が鳴ったら出てちょうだいね」
お母さんは手をひらひら振りながら、お風呂場に向かった。
「うん、分かった」
と答えたぼくの頭からは、まだ湯気が出ていた。体もぽかぽかだ。
やっと落ち着いてゲームができるぞ、と思った一分後。
「ところで、電話に出たらなんて言うんだっけ？」
脱衣所から顔だけ出したお母さんが、不意打ちを食らわせた。
「はい、ヒラサワです。でしょ」
「そのあと。『お母さんいる？』って言われたら？」
「ああ……。お母さんは今手が出せません」
「違う。母は手が離せません」
「分かった、分かった」
「もう、ちゃんと言ってよね」
最後の方は、脱衣所のドアを閉めながら言った。
まったく、なんだっていつもこんなに注意ばかりするんだろう。
お母さんっていうのは、そういう生き物なのかな。
家に帰ると「手を洗って、うがいをしなさい」に始まって、「宿題は？」「お手紙は？」。
食事のときには「左手も出しなさい」「おかずだけじゃなくて、ご飯もね」とか。
よくこんなにあれこれ気がつくなと思う。
だからぼくは、お風呂の時間が好きなんだ。
昔はお風呂でも「足の指も洗いなさい」「髪にまだ泡がついてる」と、お母さんは言い続けた。
シャワーの温度調節がうまくできなかったぼくは、そんなお母さんと一緒に入るのは当たり前だと思っていた。
ところがあるとき、お母さんが言った。
「ねえ、もう四年生だから、これからは一人で入りなさい」
ぼくはお母さんと一緒でも、別に恥ずかしくなかったけれど、一人で入れるのはなんとなく嬉しかった。
お風呂場からは、時々ちゃぽんとお湯が揺れる音が聞こえる。お母さんが湯船に漬かっているのだ。
今日のお風呂は、ちょっと驚いた。お湯が薄い緑色になっていて、なんとクラゲが浮かんでいたのだ。
「何？ これ」
続きは短篇集でどうぞ。