こぼれたメロディ
スクランブル交差点の信号が緑に変わった。
右や左、真正面から人が押し寄せてくる。二度と会えない人たちとすれ違う。
名前も仕事も家族も、何も知らない人たち。
一瞬だけ同じ空気を吸って、また知らない世界の中で生きる人たち。
（何だか悲しいな）
そう思って歩いていた時、空から何か降って来た。
それはとても微かな感触で、まるで誰かにそっと肩を叩かれたような感じだった。
（雨かな？）
はじめは、そう思った。
しかし、見上げたぼくの目に入ったのは、夏の太陽の眩しい陽射しだった。
立ち止まるぼくの肩に、後から歩いて来た人がぶつかった。
すみませんと言うかと思ったが、「邪魔だよ」と呟かれた。
信号が点滅していた。急いで渡り切ったところで、また何かが降ってきた。
今度は肩には止まらずに、ぼくの目の前に落ちた。
「何だ？」
ぼくは思わず声に出した。かがんで拾うと、それは小さな小さな瓶だった。
透明なガラスの瓶に、コルクで蓋がしてある。
ぼくは瓶を手に、人の少ない所に歩いて行った。公園を見つけ、ベンチに腰掛けた。
あまりの暑さに、木陰でも人が少ない。
みんな喫茶店やビルの中など、快適な所にいるのだろう。
しかし、ぼくはその時何故か、そういう人工的な場所に行く気分ではなかった。
瓶の蓋を開けた。すると、そこから微かなメロディーが聞こえてきた。
何処かで聞いたような気がして慌てて耳に近づけたが、シンとしてしまった。
（今のは何だったのだろう？ オルゴールかな？）
しかし、ぜんまいらしきものは何処にもなかった。
ぼくの中には、疑問符とともに喉の乾きが残された。
瓶をポケットに入れ、ジュースの自動販売機を探して歩き出そうとしたぼくの目の端で、
何かキラッと光るものがあった。
気になったぼくがそちらに行くと、樹の下の芝生に先程と同じような瓶がいくつか落ちていた。
青っぽいもの、赤味がかったものなどいろいろあるが、透明感があるのは共通していた。
ぼくは、しゃがんでいくつかの瓶を拾った。そして、今度は耳に近づけてから蓋を取った。
「♪♪♪……」
確かにメロディが流れてきた。青い瓶からは爽やかな音楽が、
赤い瓶はちょっと騒がしい音が聞こえた。
「おもしろいだろう」
不意に声をかけられ、ぼくは驚いて顔を上げた。
杖をついた老紳士が、微笑んでぼくを見ていた。
「これは何ですか？」
立ち上がったぼくは老紳士に訊いた。
真夏だというのに、彼はきちんとスーツを着て、汗もかかずに澄ましていた。
ぼくは額から落ちる汗をＴシャツの袖で拭った。
「音楽だよ」
続きは短篇集でどうぞ。