パンを盗んだ娘


  ひとりの娘がパン屋の前を通りかかりました。

香ばしいにおいが店の外まで漂っています。

 ガラスばりの店なので、焼き立てのパンが並んでいる様子が外からもわかりました。

お客さんは、たくさんのパンの中から好きなものを選んで、トレイに乗せています。

娘は明かりに引かれる虫のように、扉を開けて混雑した店に入って行きました。

 娘はこのところ満足な食事ができず、とても空腹でした。

あたたかく清潔な店内で、娘は自分を見失いました。

入口の一番近くにあったパンを、手にとって食べたのです。

お客さんのひとりがそれに気づきました。

「あ! この子、黙ってパンを食べている」

 その声に店の主人が慌てて出て来ました。

「ちょっと、困るじゃないか。お金を払ってくれなくちゃ」

 はっとした娘は、食べかけのパンを持ったまま立ち尽くしました。

「お金だよ。持っているんだろうね?」

 太った店主は、もう一度言いました。

娘がうつむいて首を横に振ると、店主の顔は見る見るうちに真っ赤になりました。

「どろぼう!」

 その途端、娘はパンを投げ捨て、弾かれたように表へ飛び出しました。

後から店主が追いかけてきます。

娘は走りました。

お客さんも続きます。

 娘は、やがてぶどう畑の前に来ました。

畑にいたおじいさんは、青ざめた娘と、後に続く大勢の人たちを見て驚きました。

「一体どうしたって言うんだね?」

 おじいさんは小さな娘を背中にかばうと、パン屋に向かって言いました。

「この子がわたしの店のパンを盗んだんだよ」

 それだけ言うと、パン屋はおじいさんから娘を取り上げて、体を叩きました。

そんなことをしても、お金が手に入るはずもないのに。

 大勢の人が、好奇の目で遠巻きにしています。

このあとパン屋はどうするか、娘はどうなるのかを見届けるために。


続きは短篇集でどうぞ。

back