善兵衛さんの夢

　善兵衛さんに異変が起きたのは、ひと月ほど前のことでした。

「最近いやに太ってきたじゃないか」

　そう言ったのは、長屋のご隠居さんです。

ご隠居さんは物静かな人で、普段はのんびりと囲碁なんか打っていましたが、善兵衛さんをそれとなく気にかけていました。

　善兵衛さんは、一年前に女房のおみつを亡くしました。

特別仲のいい夫婦ではありませんでした。

小さなけんかはしょっちゅうでした。

それでもうまくやっていたのは、善兵衛さんの人のよさと、おみつの天性の明るさのためでした。

要領が悪くいつも損ばかりしている善兵衛さんが落ち込んでいると、おみつは肩を揉んだり甘いものを買ってきたりして、

さりげなく励ましました。

そんな心遣いを内心嬉しく思いながら、善兵衛さんはつい邪険にしていました。

　昨年の冬、おみつは流行り病にかかりました。

善兵衛さんは慣れない家事をし、薬代に頭を悩ませ、懸命に看病しました。

おみつは病の床で、三つになる新吉の名前ばかり呼んでいました。

そのくせ、移ったら困るからと決して近寄らせませんでした。

　善兵衛さんの看病もむなしく、おみつはあっけなく亡くなりました。

あんなに新吉の心配をしていたのに、息を引き取る直前におみつはこう言いました。

「すまないね、おまえさん。どうもありがとう」

　葬式の時、善兵衛さんは周りが驚くほどげっそりやつれ、落ち込んでいました。

そして、それ以来仕事もせず、飲めない酒ばかり飲むようになりました。

見かねたおみつの母親は、新吉を田舎に連れて行きました。

おみつに懐いていた新吉は、今更誰に育てられても変わりありません。

幼子はすぐに新しい環境に馴染むでしょう。

ひとりになった善兵衛さんは、ますます世捨て人のような暮らしになりました。

　そんなある日、善兵衛さんはおみつの夢を見ました。

最初は霞のようにぼんやりしていて、おみつかどうかわかりませんでした。

でも、毎晩夢に出てくるうちに少しずつ顔がはっきりしてきて、次第に会話までできるようになりました。

ご隠居さんが声をかけたのは、そんな時でした。

「どうしたい。やつれているよりはいいが、それはちょっと太り過ぎじゃないか」

続きは短篇集でどうぞ。