五月のうさぎ
軽い頭痛を感じながら、レイコさんはアパートの鍵をかけました。
斜向かいの家のベランダでは、主婦が洗濯物を干しています。
今日は朝からこんなにいい天気ですから、すぐに乾くでしょう。
レイコさんは、おひさまの匂いのシーツやパジャマを羨ましく思いました。
隣の家のツツジは、いつのまにか色褪せて、二軒先のハナミズキの白が鮮やかでした。
レイコさんは、そんなことにも気づかずに、足取り重く駅までの道を歩いていました。
今朝は、起きるのがなんと辛かったことでしょう。
でも、新入社員だから休めないなと考えながら、最初の角を折れました。
その時、レイコさんは先の路地を曲がる者に目を見張りました。一瞬だったため、見間違いをしたのでしょうか。
前を歩く年配のサラリーマンは、その姿に気づかなかったようで、何事もなく歩いています。
レイコさんは、どきどきしました。自分が見たものが本物かどうか確かめたくなり、足を速めました。
角を曲がったら、相手も塀の向こうに消えるところでした。
レイコさんは走りました。肩にかけたバッグがカタカタ鳴るので、胸に抱えてなるべく音を立てないようにしました。
秘密を探る時には、静かにしないといけないと思ったのです。レイコさんの横を、白い乗用車が走り過ぎました。
再び曲がった途端、レイコさんは目の前にいた者を見て息を飲みました。
青い上着にグレーのズボンを着て二本足で立っていますが、やはり見間違いではありません。
短いしっぽ、長い耳。それは、多少大き過ぎはしましたが、正真正銘のうさぎでした。
うさぎは、レイコさんが追いつくのを待っていたように、じっとたたずんでいました。
追いかけてみたものの、用があるわけではなかったレイコさんは、うさぎを前にどぎまぎしました。すると、
「おはようございます」
と、うさぎのほうから丁寧に挨拶してくるではありませんか。
「お、おはようございます」
レイコさんは、少しどもりながら返事をしました。今日初めて声を出したためか、かすれています。
うさぎは、そんなことにはおかまいなしでした。
続きは短篇集でどうぞ。