引っ越しの日

 

 荷物が運び出されてがらんとした四角い空間は、わたしをきっぱりと拒絶していた。

昨日まで、いや大家に引き渡しをしていないから今でもまだ、ここはわたしの部屋のはずなのに。

自分の物が何もない状態は、人をこんなにも不安な気持ちにさせるものだったのか。

 六年間住んだ部屋には、あちこちに思い出があった。

 食事をコンビニに頼ってばかりいると栄養が片寄るから、自分で料理をするために、

休日にはスーパーで食料品の買い溜めをした。

カレーは何日も続いたし、焼きそばばかりの日もあった。

そのうち、そういう料理の時には友達を呼ぶことが多くなり、何人かが泊まって行って、一緒に台所に立った。

 洗面台の下の扉は立て付けが悪く、開け閉めする時に信じられないくらい大きな音がした。

新しい石鹸を出しながら、「だから気をつけてね」と言ったのに、

友達はお風呂に入る前に確かめるようにわざわざ扉をバタンと閉めた。

アパート中に響くような音を聞きながらふたりで笑い合ったので、彼女はなかなかお風呂に入れなかった。

 家具を置くつもりはなかったけれど、ベッドや机、本箱くらいはないと不便で、簡単なものを買った。

友達の来ない休日前の夜は、ネットサーフィンをしたり、ベッドに寝そべりながら静かに本を読んだりした。

実家にいる時は、自分の部屋にいても扉の向こうに気を遣っていたので、

誰にも邪魔されずに好きなことができるのは気分のいいものだった。

 そんなふうに、狭いながらも楽しい部屋で充実した日々を送っていたのに、突然引っ越さなければならなくなった。

三か月前に更新手続きをしたばかりなのでもったいないけれど、仕方ない。

最近、わたしの周りに怪しい男が現れるようになったのだから。

 正確には、それが男かどうかはわからない。

明るい時には決して姿を見せず、こちらが存在を忘れて油断している夜などに不意に現れる。

いつもというわけではないし、顔を見たこともない。黒ずくめの服を着ているようだということしかわからない。

しかし、その条件だけで、そんなことをするのは変質者だとしか考えられなかった。

 男のけはいに気づいてからは、しょっちゅう友達に泊まりに来てもらっていた。

こちらが騒いでいると、男は絶対に現れなかったから。

だが、そうするとかえってひとりで過ごすことが怖くてできなくなった。

 

続きは短篇集でどうぞ。

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