私がおばさんになった日

「ずっと本を読んでたから、肩をもんであげようって思ってました」

シャンプー台の椅子を起こしてから、彼女は言った。

首から肩にかけて指圧してもらうと、筋肉がほぐれて気持ちいい。

美容院はパーマ液が浸透するまでの待ち時間が長いし、ドライヤーの音がうるさいから、本を読むのにちょうどいい。

大型の雑誌は重いので、持参した文庫本を読んでいた。それでもこんなに肩が凝る。

「最近の女の子は、どんな本を読むの？」

普通は読書している人にする質問を、私は彼女にした。

「えー、マンガばっかりなんです」

私もマンガは好きだが、教えてくれたタイトルは残念ながら知らなかった。

「あ、でも、この間映画の原作本を読みました。少し読んでつまんなくなっちゃたけど」

彼女ははにかんで笑った。

それは、書店に平積みされている本だったが、私は読んだことがなかった。

この話題は噛み合わないようだ。少し黙っていたら、

「何の本を読んでるんですか」

と訊いてきた。

「○○っていうの。この間、直木賞を受賞した作家の」

「ふうん……」

この顔は、「直木賞」も知らないらしい。しかたない。興味のない分野だろうから。

「そういえば、その人の本、母親が読んでたような気がする」

ああ。軽い眩暈。

「お母さん、おいくつ？」

「四十五歳です」

この春に美容師になった彼女は、現在十八歳。平成元年生まれ。

私が四十五歳になった時には、息子も十八歳になる。

「私、あなたのお母さんと同じくらいだわ」

年齢を言うと若いねと言われるのが密かな自慢だったが、この時ばかりははっきりと思い知らされた。

「シャンプーで手が荒れるでしょう？」

「私、結構肌が丈夫だから平気なんです」

気丈に言う彼女は、シャンプー台からカットする鏡の前に誘導してくれ、私の担当は店長に代わった。

髪を切ってもらっている間、彼女は別のお客さんのシャンプーをしていた。

二十歳以上年上の私が、彼女より優れているとは限らない。

毎日毎日人の頭に触れ、髪を洗い、耳の中に入った水を拭いている彼女は、一体いくつの耳の形を知るのだろう。

レジで目にした彼女の手は、丈夫な感じなんかではなくて、かなりひび割れていた。

真夏でこれだから、冬は真っ赤になるに違いない。

でも、働く意欲が表れている手は、見ていて頼もしかった。

私に残されているのは、お客さんだからとか年上だからとかいう横柄な態度を決してとらないこと。

相手が誰でもきちんと誠実に接することで、年上のすてきな女性になる道しかない。

丁寧な日本語を話すのが、年長者の務めだ。

がんばってね、なんていう空々しい言葉は口にできない。

「どうもありがとうございました」

私はきちんとお礼を言って、お辞儀をしてからお店をあとにした。