月夜に

疲れた男がひとり、夜道を歩いていました。

駅前の通りを抜け、角を三つ曲がると、辺りは急に暗くなります。

男が何気なく地面を見ると、そこには影が二つありました。

二つの電球をもつ街灯の下を通れば、影も二つになるのは当たり前です。

でも、男にはそれがなんとも不思議なものに見えました。

「おれもふたりいたら、こんなに忙しくはないのにな」

思わずそんなふうに呟いてしまうほど、男は仕事に追われていました。

一刻も早く家に帰って休みたいと、足を速めました。

コンビニのビニール袋が、がさがさと音を立てます。

街灯から遠ざかると、影は消えました。

それでも辺りはいつもより明るいように感じられました。

見上げると、空には大きな月が出ていました。

男は久し振りに月を見たような気がしました。

黒い夜の中で、月は一点の汚れもなく、やさしく街を照らしています。

部屋に入った男は、窓を開けました。

ひんやりとした冷たい風が、濁った空気を入れ替えます。

男は引き出しから一枚の写真を取り出しました。

もうずいぶん古く、角が少し折れています。

一枚だけの写真に写っているのは、二度と会うことはない人です。

一緒に月を見た人です。

「月があんなにきれいなのは、人が住んでいないからよ」

と言っていましたっけ。

男は月を見ながら、缶ビールを飲みました。

どんなことがあっても心の中までは他人には踏み込ませないと思うことで、

男はかろうじて日々の雑事に流されそうな自分を取り戻しました。