小鹿と王子(3)
こうして、サマト王子とリムラは結婚することになりました。
それからは、お城中大騒ぎです。
王さまはリムラのために、これまでに見たことのないほど美しいドレスや宝石をたくさん用意されました。
ふたりのために召し使いを増やし、新しいお城を建設させました。
みんなはやさしい王子さまと美しいお姫さまの結婚式を、指折り数えて待ち望みました。
今度は娘たちだけでなく、国中の人々が招待されるのです。
リムラが結婚式の仕度に忙しくしている間、狩人たちは森に入り、たくさんの獲物を仕留めました。
招待客へのごちそうにするのです。
森の動物たちは、自分がリムラのために殺されるとは夢にも思いません。
ただみんな怖がって、なるべく森の奥に住むようになりました。
洞穴に住む魔女だけは、この騒ぎの原因を知っていましたが、魔女のところに聞きに来るものは誰もいませんでした。
時間はあっという間に過ぎてゆき、とうとう結婚式の日になりました。
真っ白いドレスを着たリムラは、雪の精のような美しさです。
サマト王子も王さまも、お城の人も招待客も、みんなこの愛らしいお姫さまのとりこになりました。
この招待客の中に、変装した魔女がいました。
魔女は若い女の格好をしていましたが、暗い目を見た瞬間に、リムラはこれが魔女だと気づきました。
忙しく幸せな日々に忘れていましたが、自分は魔女の魔法で人間の娘になれたのです。
リムラは恐ろしさに身震いしましたが、わざとにっこり微笑んで挨拶しました。
「ごきげんよう。今日はようこそおいでくださいました」
「おめでとうございます、お美しいお姫さま。ああ、あなたはとてもお幸せそうですね」
「どうもありがとうございます。おっしゃるとおり、わたしは今世界で一番幸せな娘ですわ」
「どうぞその幸せを、わたくしにも分けてください。そのすてきな指輪を、もっと近くで拝見したいものです」
魔女はリムラの薬指をじろじろ見ました。
そこには、サマト王子とお揃いの結婚指輪がはまっていました。
ぐるりとダイヤモンドが取り巻いている指輪です。
リムラは魔女の前に左手を差し出しました。
「なんてすばらしいのでしょう。さぞ大事な指輪でしょうねえ。これは、あなたが王子さまの妻だというしるしですから」
「ええ……」
リムラは、魔女が狙っているのはこの結婚指輪ではないかしらと思いました。
一年後、リムラの宝物をもらいに来ると言っていた魔女です。
結婚指輪を奪って、サマト王子との結婚をこわそうとしているのではないでしょうか。
「でも、このネックレスもイヤリングも、わたしにとっては大事な宝物ですわ」
リムラは慌てて、大きなダイヤモンドがきらめいている宝石を指差しました。
リムラにとって一番の宝物がどれか、魔女に悟らせまいとしたのです。
「ええ、ええ。宝石もドレスもみんなお見事です。お姫さまは、ほかにもまだたくさんお持ちなのでしょうね。
わたくしもどれかひとつほしいくらいですわ」
魔女の返事に、リムラはにっこりしました。
「では、いつか差し上げましょう」
「いえいえ、めっそうもないことでございます。宝石やドレスは憧れですが、わたくしには普段使う機会がございません。
それよりも、今日のごちそうの素晴らしいこと。王さまの森の動物たちは、とてもおいしいと言われていますから楽しみですねえ」
魔女はそう言って、にやりと笑いました。
リムラは魔女の言葉に、とても驚きました。
今まで自分のことに精一杯で、目の前の料理にまで気を留められませんでした。
ここに並んでいるのは、もしかしたら一緒に森を駆けた仲間の鹿だろうか、サマト王子についていろいろ教えてくれた兎だろうかと、
リムラの胸は張り裂けそうになりました。
突然のできごとに戸惑っているリムラに、サマト王子が尋ねました。
「どうしたのですか? 顔色がよくないようですが……」
「なんでもありません。ちょっと疲れてしまったものですから」
「もうすぐお開きになりますから、あと少しだけ辛抱してください。それとも、もしかしてあまり召し上がっていないのではないですか?
ご婦人方はお腹が空いても遠慮するものだから。ほら、この山鳩のお肉はおいしいですよ」
サマト王子は、ナイフとフォークで切り分けたお肉を、おいしそうに口に運びました。
それを見たリムラは、ますます気分が悪くなり、倒れそうになりました。
「いえ、お肉はあまり好きではありません」
そこでサマト王子は、リムラに飲み物とサラダを用意させました。
無事に宴会がお開きになると、リムラはすぐにベッドに横になって休みました。
サマト王子は、リムラが疲れたのだろうと思ってそっとしておきました。
サマト王子の妻になったリムラは、それから毎日野菜や木の実、果物などを食べました。
そのほうが体調も気分もいいのです。
サマト王子も、大好きな奥方のために普段はお肉を食べませんでしたし、王さまやお妃さまも次第に肉食を好まなくなりました。
新しいお姫さまがお肉を召し上がらないという噂は、あっという間に国中に広まりました。
もしかしたらそのせいであんなに美しくいられるのではと考えた娘たちは、リムラの真似をして菜食主義者になりました。
おかげで最近は狩人の数がめっきり減りました。
娘たちは、なんでもリムラの真似をしたがりました。
リムラが着ていたドレスにちなみ、好きな人に気に入られるには緑色のドレスがいいというおまじないが流行りました。
女の赤ちゃんには、リムラと名づけられることが多くなりました。
髪型もお化粧も、リムラそっくりの娘がたくさんになりました。
それでももちろん、本物のお姫さまに敵う娘はいませんでした。
ある日、リムラのお腹に赤ちゃんがやってきました。
サマト王子の喜びようは、たいへんなものでした。
もちろん、王さまもお妃さまも国中の人も、この嬉しいニュースを手放しで歓迎しました。
娘たちも同じように、自分のところに赤ちゃんが来ることを望みましたが、こればかりはなかなかうまくゆきませんでした。
リムラはお腹の中の赤ちゃんに毎日話しかけ、指折り数えて出産の日を待っていました。
あちらこちらから早々にベビー服やおもちゃ、絵本などが贈られてきました。
みんなが新しい命の誕生を心待ちにしていたのです。
そして、とうとう月が満ち、リムラは男の赤ちゃんを産みました。
それは偶然にも、サマト王子との結婚式からちょうど一年経った日でした。
みんなは二重のおめでたを心から祝福し、夜通し宴会を開きました。
ところがその晩、森の奥の洞穴から、あの魔女がやってきたのです。
魔女は誰にも見つからないように暗闇に紛れてほうきに乗って、リムラと赤ちゃんが休んでいる部屋へ、窓から入ってきました。
お城の門や部屋の前には、見張りがたくさんいたからです。
魔女は上機嫌で言いました。
「出産おめでとう、リムラ。さあ約束どおり、おまえの宝物をもらいに来たよ」
ああ、そうです。
リムラはサマト王子と結婚して一年経ったら、魔女に宝物を渡さなければならなかったのです。
リムラは宝石箱を指差し、どれでも好きなものを持って行っていいと言いました。
そこには結婚式の時につけていたネックレスやイヤリングもありました。
けれども、魔女は首を横に振りました。
「そんな簡単に渡せるものは、宝物じゃないだろう」
リムラは、渋々結婚指輪を外そうとしました。
ところが魔女は、
「違う、違う。おまえの本当の宝はこれだ」
と言うが早いか、リムラの隣に寝ている赤ちゃんをさっと抱き上げました。
リムラはベッドから飛び起きると、魔女の黒いドレスの袖をつかみました。
「あ、それだけはやめてください! ほかにはなんでも差し上げますから」
「ほう、やっぱり一番の宝は子どもだね。わたしがほしいものもそうなんだよ。
それならいっそのこと、この宝をふたりで半分に分けてしまおうか」
魔女が小さな両手を左右からひっぱったので、赤ちゃんは大きな声で泣きました。
「なんてことをするのです! お願いですから、もっとやさしく大事にしてください」
「ああ、素直に渡してくれれば、うんと大事にするよ。おまえが人間になる時にわたしと交わした約束は、忘れていないだろうね。
宝物をわたしに渡すか、赤ん坊をふたつに分けるか、おまえにはどちらかしか選べないんだよ」
魔女は不気味な笑みを見せました。
それは、リムラが最初に会った時と同じ笑いでした。
リムラには、赤ちゃんをふたつに分けるなんて、とても考えられません。
けれど、どんなにひどいと思っても、約束は約束です。
リムラは赤ちゃんを魔女に渡すことにしました。
そして、最後にしっかりお別れがしたいからと言い、赤ちゃんを胸に抱き寄せました。
赤ちゃんは安心したのか、泣きやんですやすや眠りました。
リムラは待ち望んでいた赤ちゃんを一晩もそばに置けない悲しみに、涙を流しました。
涙はぽたぽたと赤ちゃんの頭に零れ、薄い栗色の髪の毛はきらきら輝きました。
リムラがまだまだ手放したくないと思っていたのに、情が移るだけだからと魔女は赤ちゃんを再びさらいました。
そして、来た時と同じように静かに窓から飛び去ってゆきました。
リムラには、もうどうすることもできません。
魔女の姿が見えなくなると、大声で泣きました。
リムラの泣き声を聞きつけ、家来やサマト王子がやってきました。
リムラは、たった今魔女に赤ちゃんを連れ去られたことを話し、意識を失いました。